INTERVIEW 経験者の声
実際にUターン、Iターンされた先生の声

平江 健二

熊本県出身

高校卒業後、東京理科大学薬学部に進学し、薬剤師となりましたが、医療として範囲の広い、医師になりたい希望が強く、大学卒業後薬剤師のアルバイトをしながら勉強して再入学し、2005年大分大学医学部に入学しました。
地元が熊本なので、熊本の小児科医局に入局し、7年間熊本で初期研修医、小児科医として仕事をしてきましたが、子育てや妻の両親のこともあり母校である大分大学の小児科に入局しました。

医師、そして小児科医という職業を志したきっかけは何だったんですか?

高校生のころ、進路や将来のことを考えたときに、真っ先に思ったのが「人の役に立てる仕事はなんだろう」ということでした。
医師の仕事である「治療」は患者さんを元気にすることが目標。みんなが喜んで、笑顔になる仕事ですよね。これは、非常にやりがいがある仕事だと思いました。

治療の中でも重要な役割を果たす薬のことを学びたくて、最初は薬学部に入学しました。新薬開発の研究に携われば、たくさんの患者さんに貢献できると思ったんです。
ただ、実際には医師に比べると薬剤師の範囲というのは非常に狭く、もっと患者さんのそばで働きたいという想いが強くなっていきました。
研究よりも臨床でやっていきたい。そしてもっと患者さんの身近で役に立てる存在になりたいと思い、医学部に再入学しました。

卒業後は小児科医として都城に勤務し、今年の4月から母校の大分大学医学部に戻ってきました。薬剤師としての知識、他病院での経験を活かして、今後は大分に骨を埋める覚悟です。

小児科医になって印象深かったエピソードや思い出を教えてください。

嬉しいのは、重症でこられたお子さんが、元気になって帰っていったときですね。来たときは心肺停止で、後遺症も心配されていたくらいの患者さんが元気に帰っていく姿を見送れるのは、医師として最高に嬉しい瞬間です。
「治療をしてくれたのが先生でよかった」と、退院していくときにお手紙をもらったことも、すごく嬉しかったですね。

僕は子どもが好きで小児科医になったし、自分自身が3児の父でもあります。
実際に小児科医って大変だとは思います。だけど、「子どもが好き」「子どもが可愛い」という想いって、それだけでもすごく強いものだと思うんです。
その気持ちがあれば、きっとどこまででもやっていけるんじゃないかなと思います。

熊本で、70歳になられた開業医の先生が、「この歳になってもまだ見たことがないような疾患がある。面白いね」って生き生きと仕事に取り組まれている姿を見たとき、小児科って奥が深いんだと思いましたね。本当にやりがいのある仕事だし、その先生の言葉もすごく印象的で、こんな医師になりたいと思いました。

最後に、どのような小児科医を目指しているか教えてください。

今後は、地方に医療を広げていくことに力を尽くしたいと考えています。
僕は熊本から宮崎に派遣されて小児科医として働いていましたが、延岡の患者さんが熊本の病院まで通っていたりするんですね。
大分も市内には医療機関が集まっていると思うのですが、それ以外の地域はどうしても手薄なので、地方の患者さんは1時間も2時間もかけて大きな病院に通うことになります。
そういう患者さんの負担が少しでもなくなるためには、やはりマンパワーが重要になってきます。人を増やしていかなければ医療は充実できませんから。

僕も医師としては中堅になってくるので、人材を増やす、育てるという方向からも地方の医療に貢献できるよう、がんばっていきたいと思います。

まだまだ魅力が沢山!