大分大学医学部小児科学講座

医局員紹介

子どもたちにとって、
気づきにつながる存在に
なりたいです。

医学部 助教、外来医長
糸永 知代 Tomoyo Itonaga 大分県出身 熊本大学、平成20年卒
日本小児科学会 専門医・指導医
日本内分泌学会 専門医
日本糖尿病学会 専門医

「その学問を学んで君は社会にどんな形で貢献することができるのかを考えているか。」
この言葉がきっかけで医学部へ進学しました。

私は小さいころから健康そのものでかぜにも滅多に罹らず、病院という場所には縁のない幼少期を過ごしていました。
現在はというと、小児科医として日々病院にいて、病気を抱える子どもたちと向き合う仕事についています。
薬を処方したり、点滴をしたり、検査をしたり、といった日々です。
そんな私の現在へ至る経緯を考えたとき、二つのポイントを思い出しました。
ひとつは高校2年生の時、もうひとつは大学6年生の時です。

高校生だった当時の私は、健康と勤勉さだけが取り柄で、毎日勉強ばかりしていました。
勉強すればするほど成績が上がる、その満足感だけを求めていたようなところがありました。
高校2年生の進路調査の時、具体的な将来像は全く思い浮かばず、適当に思いついた学校や学部を調査希望で出していました。
ところが、進路指導の先生から
「勉強がおもしろいのならそれは悪いことじゃない。でも、その学問を学んで君は社会にどんな形で貢献することができるのかを考えているか。」
と問われました。
答えることができませんでした。
私の成績が上がったところで誰一人の人生にも影響を与えていない、そしてそのことに気づくことなく過ごしてきた自分に愕然としました。
しかし、高校2年生になるまで何も考えていなかったわけですから、急に考えても思い浮かぶはずもありません。
再びその先生に泣きつき、「とにかく学校の勉強以外の本も読むように」と言われました。
通学路にある図書館に通って本を読みました。それでも明確な答えは出ませんでしたが、人の人生や生死に関わる職業についたら何か見えてくるのかな、と考え医学部へ進学しました。
今考えても、あまり好ましい動機ではないと思います。
そのような動機づけのため、大学へ入学してからは勤勉とは程遠い生活を送ってしまっていました。

小児科の先生全員でお子さんの救命処置にあたっている様子を見て、純粋に「かっこいいな」と感じました。

そして、ふたつ目のポイントの日がやってきました。

臨床実習が始まり、それなりに勉強をするようになった矢先の小児科での実習中に、重症のお子さんが救急搬送されてきたのです。
ショック状態の化膿性髄膜炎のお子さんでした。その病院の小児科の先生が全員でそのお子さんの救命処置にあたっている様子を見て、純粋に「かっこいいな」と感じたのです。
そして、そのお子さんが数時間前も病院を受診しており、そのときは元気であったということを聞き、衝撃を受けました。
今考えるとそのようなことで衝撃を受けるとは医学生としての自覚が足りなかったと反省していますが、とにかく強烈な印象に残り、その憧れの気持ちから小児科医を目指したのです。

日々なんらかのきっかけや気づきにつながる存在になれるようにと考えています。

そんな調子で、私はあまりにも鈍感です。しかし、人との出会いはそんな私にいつもたくさんのことをも気づかせてくれ、前へと押し進めてくれました。
今は、日々困りごとを抱えたお子さんたちに出会います。私が気づきを受け取るだけでなく、お子さんたちにとって、なんらかのきっかけや気づきにつながる存在に自分自身がなれるようにと考えています。
きっかけとなるのは、治療薬かもしれないし、私が発する一言かもしれないし、もっと他の何かかもしれません。

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