大分大学医学部小児科学講座

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医局員紹介

大分こども急性救急疾患学部門医療・研究事業 教授
末延 聡一 Souichi Suenobu 大分県出身 大分医科大学、平成2年卒
日本小児科学会 専門医・指導医
日本血液学会 血液専門医・指導医
日本がん治療認定医機構 暫定教育医・認定医
日本小児血液・がん学会 専門医・指導医
日本造血細胞移植学会 認定医
日本小児神経学会 専門医
ICD制度協議会 認定医

漠然と、当時「不治の病」と思っていた「がん」を一つの薬で治すことが出来ないかと思っていました。

「末延(すえのぶ)」という姓は,全国に900人いるそうです(名字由来Net.より)。瀬戸内海に面した地域に多いようで、私の出身地も瀬戸内・周防灘に面した大分県の香々地町という町でした。
平成の大合併で、私の生まれた町名は無くなり、「豊後高田市」になりました。合併してもやっと人口2万人という小さな市ですが、「昭和の町」で有名になり、「住みたい町」にランクインしています。
私は田舎出身者の常として、方向感覚に乏しく(方向オンチ)、久留米市に向かって太宰府天満宮に到着した事もあります。
仕方ないのです、香々地町には、私が小学生の時まで信号機が無く(電車は今も無い)、交通手段は行き先が東か西しか無いバスのみ、山の位置を見て方向を判断していたわけですから。

高校まで豊後高田の田舎で過ごした私が医師を志したのは、「がん」を治すことが出来ればいいな、という気持ちからです。
父の病気が関係するのは間違いないのですが、身内の事を抜きにしても漠然と、当時「不治の病」と思っていた「がん」を一つの薬で治すことが出来ないかと思っていました。
今考えると「がん」の種類を全く考慮していない、甘酸っぱい理想です。しかしモチベーションはありました。幸い医学部に入学でき、子どもの純粋さと小児がんの存在を身近に感じて小児科入局を決めました。 平成2年の事です。

入局、そして留学先で、多くの施設で協力して治療法を開発する事の大切さを学びました。

入局後、小児がんに関する臨床研修、そして基礎研究を、ここ大分大学医学部と、数か所の国内留学という形で実現する事が出来ました。当時少ない医局人数にもかかわらず、私の研修を応援して下さったのは故・小川昭之教授、故・石原高信先生でした。少しでもお二人の応援を形にできればと思い、何とかこの領域で頑張っています。今は更に「がん」以外の分野でも仕事を頂き、「小児救急」や「小児保健」にも関わりを持つことが多くなっています。いずれも子どもの生命が身近に感じられる分野です。
入局、そして留学先で、多くの施設で協力して治療法を開発する事の大切さを学びました。小児がんを発症し、助かる子どもはここ50年間で飛躍的に多くなっています。例えば、私が生まれた昭和41年(1966年)に、世界で最も優れたアメリカの病院で、小児リンパ性白血病が治る見込みは「10%」でした。それが2000年代のいまや、治る見込み「80%」となっているのです。この80%を100%にすることと、治療の後遺症を出来るだけ減らすことが今の私たちの使命と思います。

小児がんがほんの少しの内服薬、または注射薬で後遺症なく治る時代が来るかもしれないと思っています。

先ほど簡単ではないと書いた、優秀な抗がん剤一つ・または優れた治療法で全く後遺症無く、がんを治す事が大きな目標です。夢のような話ですが、かつて不治の病と言われた結核がペニシリンで治る時代になったように、小児がんがほんの少しの内服薬、または注射薬で後遺症なく治る時代が来るかもしれないと思っています。もっと究極には、「小児がんを100%予防する」事も出来るかも。そのためには、多くの若い発想、子どもの命にみずからを正対できる熱い気持ちを持つ、たくさんの小児科医が求められます。
是非一緒にちびっこの未来を応援しましょう!

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